2013-02-18

諏訪ノ夢時代




先日小旅行した、長野にまつわる話し。




今は長野の諏訪郡で生活を送っている

友人夫婦に案内されるがまま

三日間の滞在中にさまざまな体験をすることができた。




風情ある美味しい蕎麦屋、

彼らの行きつけの洋食屋、

以前Blogに書いた氷結した諏訪湖、

御柱祭で有名な諏訪大社、

井戸尻遺跡の竪穴式住居、

数千年分の縄文式土器が展示してある考古館、

氷点下の寒さのなか入った露天風呂…などなど。




そのどちらを見渡しても

八ヶ岳、

南アルプス、

富士山…

とにかく360度

見渡す限り山、山、山が

ぐるりと周りを取り囲んでいる。




そのさまざまな山々の稜線や

曲がりくねった坂から覗く谷間、

凛と屹立した白樺の林の上には

空が大きく広がり

夜になれば星が近い。




…こういう場所に来ると

東京では当たり前にやっていた

TwitterやFacebookをめっきりやらなくなるのも

なんだか不思議である。

きっと

「自然」のなかに息衝く力とのコミュニケーションの方が

いつもリアルだからだろう。




なんでも

この地方から出土する遺跡の量は

国内でも群を抜いているらしく

東京からさほど遠くないにも関わらず

今だに古代の日本が

そこに息衝いているような景色に出くわすことも珍しくない。




そこに住まう人々も

どことなく古代人のような面持ちに感じられ

なんだかとてつもない時間旅行をしている感覚になった。




とくに、八ヶ岳西南麓にある

縄文時代の遺跡群のひとつ

井戸尻遺跡。

ここで眼にした数々の縄文式土器との出会いも

味わったことのない体験だった。




この土地からは

縄文式土器が多数発掘されたらしく

岡本太郎曰く

縄文中期の文化が最も栄えたのが

ここ、諏訪郡なのだとか。




今回、実物を初めて眼にした

縄文式土器の原始的な基本文様のひとつであるという

半人半蛙の文様。

古代人は

半分ヒトで

半分カエルのようだったのだろうか?

他にも

女陰、みづち、蛇、月…と

太陰的世界にまつわるシンボルが多いのが

縄文中期の特徴なのだという。




なかでも

伊邪那美命を表しているという

人面香炉型の土器は印象的だった。

その香炉は、表にイザナミの生の貌

裏にイザナミの黄泉の国の貌を象って造られていて、


(どうやら、古事記における伊邪那美命と、そのミホトを焼いたという「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」の神話そのままに、)


かつてはその中に神聖な火を灯し

火器として用いていたのだとか。




きっと縄文人は

物質としての「土器」や「火」という以上の

見えない力の働きを、そこに感知していたのだろう。




生と死が表裏一体の

その人面香炉型土器を眺めていると

縄文時代の人間は

生活がすでに神話そのものであり

宇宙の働きのまにまに

ただ夢見ているかのような気分で

自然と戯れていたのではないだろうかと

勝手に夢想が広がってゆく。




ここに陳列してある土器の数々は

そんな古代人のはるかな夢の

美しい残滓なのかも…。




この考古館に勤めている方から聞いた話しでは

文字としての古事記があらわされる数千年前

その内容は口伝として脈々と伝えられていたのだというから

ますます

縄文時代の人々の生活が

素朴というより

現代の僕たちにははるかおよばない

宇宙的生活だったのだろうと

思わずにはいられなかった。




…帰りの車中

にわかに、アルトーの言葉が頭をよぎった。

「アレキサンドリア図書館を焼き払うことはできる。だが、パピルスを超えて、パピルスの外に、その力は残る…」




かつて

ここ諏訪郡の八ヶ岳西南麓に栄えた

今は亡き縄文の空気が

まだそこかしこにただよっている気がしたのは

おそらく気のせいではないだろう…。




ところで

長野滞在中

夜は、彼らと酒を交わしながら語り合ったが

今はもうめったに会わなくなった

「彼とその仲間たち」の話しで大いに盛り上がった。




その仲間の一人は

今は会えなくなってしまったが

透明な空気みたいに

それでも身近に感じられる。




もしかしたら

僕たちの会話を

面白そうに聞いていたかもしれない。